昨夜、すこしお話した様に、急遽 京都に遊びに行って来ました

富山へ引っ越して来てからというもの、仕事一本で昔の仲間と今まで連絡もとらずにいたのですが、昨日は10年ぶりに沢山の仲間達と再会する事が出来ました

僕はずっと前にもBlogで書いている様に、京都生まれの京都育ちです。
僕はあまり昔話をするのが好きではないのですが、こんなヴィンテージ馬鹿の僕が、京都でどんな青春時代を過ごして来たか?も、今日は少しお話してみます。
京都のヴィンテージスタイルを作ったのは、夜の木屋町で青春時代をお遊び〜生きた僕たちだったとまず断言します


これは、今から20年以上前のお話です...
夜の木屋町では知らない人はいない、Kさんと言う方がいました。
その方を慕って、僕たちは自分好みのヴィンテージスカジャンを着て、夜の木屋町で遊んでいたんです。
夏はハワイアンね!
イベントなどの際には、ヴィンテージスカジャンを来た軍団が集合していましたので、今からは想像も出来ない光景です

ですが、当時は今よりももっとヴィンテージの認識は浅い事を考えると、もの凄く最先端であったと思います?
少し話はそれますが、もともと古着創世記には、『ヴィンテージ』と言う事はせず、単なる古着としか言いませんでした。
自分の今やっているヴィンテージディーラーという立場で、この様な事を言っては行けないかも知れませんが、これだけヴィンテージは高額になったのは、古着からヴィンテージと表現された瞬間からでした...
しかし、これは時間をかけて認識されて来た価値観ですので、将来 物理的にもっともっと入手が困難になり、マーケットの需要もコアになって行く事を考えると、安くなる事は考えられません...
さてさて...
そんなスカジャンを、僕たちは何処で買っていたかというと、当時アトミックストアーという古着屋が有り、それはヴィンテージスカジャンが数十着 常時ストックしている様な店でした。(ちなみにスカジャンに関しては、現在有るHayabusaの内容はもっと濃いですが...)
そんな夜の木屋町で遊んでいた不良集団の事を、DD軍団と呼んでいました。
僕はその軍団で、最後のヴィンテージ馬鹿でした

先輩や仲間達には、現在 古着業界でも活躍なされている方もいらっしゃりますが、スピンズやポールズブティックなど、皆 同じルーツで始まっています。
現在ではヴィンテージに関係無いビオジネスに発展している方もいらっしゃいますが、ルーツは同じなのです。
その後 京都にはカプリやハオリと言ったヴィンテージセレクトなショップが有りますが、ポールズが大きく影響を与えたと言って過言では有りません...
僕もその一人ですが、その中でもコレクションにおいては一番クレイジーでしたね

最近、京都に時々帰っては昔の仲間と話していて思うのですが、近い将来 京都で何か面白い事やってみようかな?と、考えています

かなり簡潔にお話ししましたので、判らない事は又 お逢いしてでもお話し致しましょう...
でわでわ...
posted by Hayabusa at 22:01|
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